別冊日本臨床領域別症候群シリーズNo.39精神医学症候群 294-296P 2003

窃触症・摩擦症


1.概念
 狭義の意味においては、窃触症すなわちtoucherismは見知らぬ人物の股間や乳房等の身体に触れることに強い性嗜好を有することを意味し、摩擦症すなわちfrotteurismは見知らぬ人物に性器をこすりつけることに強い性嗜好を有することを意味する1)。
 しかし、一般的にはこの両者は特に区別されずに用いられることも多く、DSM-IV-TR2)においても「302.89窃触症 Frotteurism」として、両者を含んだ疾患単位となっている。
 
2.疫学
 DSM-IV-TRによれば、性嗜好異常の治療を専門とする診療所に持ち込まれる問題で最も多いものは、小児性愛、窃視症、および露出症とのことであるが、わが国に関しては、大数統計はないが、臨床経験からは窃触症が最も多いとの印象がある。小児性愛が少ないのは、我が国で性的虐待が表面化してないためと思われ、窃触症が多いのは、満員電車における痴漢行為が頻発するためだと思われる。
日本の被害者に関する統計を記す。1998年の笹川ら3)の成人日本人女性への調査によれば、58.4%が「寄りかかられ体をさわられた」経験がある。1999年の安藤ら4)の成人日本人女性への調査によれば、69.8%が「むりやり体をさわられた」経験があり、21.4%が「むりやり性器をさわられた」経験がある。1998年の内山ら5)の、高校生・大学生への調査によれば、男性の1.6%、女性の30.2%が「乗り物の中などで男性性器を押しつけられた」経験があり、男性の4.3%、女性の48.3%が「乗り物の中などでしつこくすり寄られた」経験がある。
 矢島6)の調査では痴漢を「してみたい」ことを「非常にそう思う」が男性7.9%、女性0.4%「一度位なら」が男性30.0%、女性2.5%であった。
 
3.病因
 窃触症の病因論に関しては各種提唱されているが、決定的なものはない。窃触症の病因論の一つであるCourtship Disorder概念については、露出症における記述を参照していただきたい。
ここでは、わが国で認められる、電車内痴漢行為を誘発する二つの要因について論ずる。第一は、通勤通学電車の過度の混雑である。満員電車に乗ることを契機に痴漢行為をはじめたと述べるものは臨床上多い。また満員電車に乗っているストレスを回避するために痴漢を行うと述べるものもいる。
第二は、痴漢に対する肯定的認識である。矢島の男子大学生への調査では、痴漢に嫌悪感・不快感を「全く感じない」「あまり感じない」はあわせて18.1%で、「道徳的に問題がない」とするものは5.0%である。内山7)の男子高校生・大学生への調査では、「乗物の中等で男性性器を押しつける」行為を「いつでも許される」と答えたものが0.2%、「時と場合による」が5.5%であった。また、「乗物の中などでしつこくすり寄る」行為を「いつでも許される」と答えたものが0.7%、「時と場合による」が8.7%であった。これらの統計は、痴漢行 為を肯定的に認識している一群の存在を示唆する。このような肯定的認識の場合だと、痴漢欲求に対する歯止めは乏しいことになる。
 
4.臨床的特徴
 窃触症が実際に行動化される場所には、混雑した電車やバス、映画館、本屋や図書館などがある。混雑していて触りやすい、触っているのが誰だか特定されにくい、被害者の抵抗が困難、逃げやすい、あらかじめターゲットとなる相手を探しやすい、などの理由で上記の場所が好まれる。
 具体的行動としては、手のひらで触ったり、性器をこすりつけたりするのが典型的だが、ひじやひざや大腿などを用いての窃触を行う者もいる。たまたま近くにいた相手に窃触する場合もあるが、あらかじめターゲットとなる相手を探しておき、接近するものもいる。原則的には見知らぬ相手が対象となるが、電車内痴漢行為では、繰り返し同じ相手が対象となることもある。窃触行為の最中に射精するものもいれば、行為の前後に想像したり思い出しながらマスターベーションを行うものもいる。電車内痴漢行為における射精は、自分の下着の中にするもの、あらかじめコンドームを装着しておいて射精するもの、女性の衣服に対してするものなどがいる。また、窃触行為の最中に射精するのではなく、あらかじめ精液をこびん等に入れておき、窃触を行いながら、相手の衣服等に精液をかけるものもいる。
 また、近年ではインターネットの痴漢関連のサイトを読み、性的に興奮したり、他の窃触行為のやり方を覚えたり、自己の空想や経験を掲示板に書き込むものもいる。あるいは、インターネットの掲示板や出会い系サイトで知り合った女性と同意の上で痴漢行為を行うものや、知り合った男性複数が集団となり痴漢行為を行い場合もある。
 通常は、窃触行為が犯罪行為であることは自覚しているといわれている。しかし、その犯罪性を過小評価していたり、被害者が強い抵抗を示さない場合にはそれを同意があったと自己中心的に解釈していることも多い。あるいは、犯罪行為と知っているがゆえに、スリル感を感じ性的興奮が高まるものもいる。また、病因のところで既述したように、痴漢行為に対して必ずしも犯罪とは認識していない一群もいると推測される。
 日本の統計的データに関しては、鈴木8)が若年女性の痴漢被害の実態を調査しており、それを参考にして記す。まず年齢別の痴漢被害経験(過去3年)は、18-21歳で49.3%、22-25歳で32.1%、26-29歳で17.7%と、年齢が若いほど痴漢の対象になりやすい。
 痴漢が行われた場所(複数回答)は、「電車、バス等の中」76.2%、「夜道」27.7%、「日中の路上」19.3%、「駅の構内」11.9%、「公共の建物の中」5.0%などである。
 痴漢の加害者の年齢(複数回答)は、「未成年と思われる若い男」25.2%、「成人の若い男」50.0%、「中年の男」62.4%、「年寄りの男」4.0%、「相手不明・年齢不詳」20.3%、「記憶がはっきりしない」9.9%である。DSM-IV-TRによれば、窃触症は、15~25歳のときに起こり、その後はその頻度が少なくなっていくとされる。しかし、鈴木の調査では、中年の男が加害者であることが多く、日本では必ずしも中年で窃触行為の頻度が下がらないことを示唆する。これは、日本においては窃触行為の多くは、電車内痴漢行為であり、加害者は 満員電車に乗る通学通勤者であることも一因だと思われる。
 窃触症が他の性嗜好異常を伴うことは、Freundの調査で72%などのように米国の文献では、高い率で認められる。しかし、これは日本では異なると筆者は考える。日本における統計的データは知られていないが、臨床上の経験では他の性嗜好異常を主訴とするものでは確かに複数の性嗜好異常を有することが多いという印象を持つ。しかし、電車内痴漢行為を主訴とするものの場合は、他の性嗜好異常を伴うことは少ないという印象を持つ。いいかえるならば、日本では他の性嗜好異常は伴わず、もっぱら電車内痴漢行為のみを行う一群がいるということである。
 
5.診断と診断基準
 DSM-IV-TRにおける診断基準は以下の通りである。
 
302.89 窃触症の診断基準
A. 少なくとも6ヶ月間にわたり、同意していない人にさわったり、こすったりすることに関する、強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する。
B. その人が性的衝動を行動に移している、またはその性的衝動や空想のために、著しい苦痛または対人関係上の困難が生じている。
 
診断基準Bについては、露出症における記述を参照していただきたい。
 
6.治療
a.薬物療法
 露出症における記述を参照のこと。
b.精神療法
 窃触症に特別の治療法は知られていない。他の性嗜好異常と同様に種々の治療技法を組み合わせて、治療を行うのが望ましい。
 ここでは、性嗜好異常の精神療法における価値観の中立性の問題について簡潔に述べる。通常の精神疾患における精神療法では、治療者は患者の価値観を尊重し、中立性を保つことが必要とされる。しかしながら、犯罪行為を伴った性嗜好異常の場合はこの原則は適用されないことがある。たとえば、「痴漢行為は別にやってもかまわないものだ」等の価値観を有するものに対しては、それを適正なものにするように、治療者が関わっていく場合もある。
 その他の詳細な精神療法については、拙著の「性非行少年の心理療法」9)を 参照していただきたい。
 
7.文献
1)Freund, K.: Frotteurism. In: Sexual Deviance,111-130,The Guilford Press, New York,1997
2)American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Forth Edition, Text Revision. American Psychiatric Association, Washington DC, 2000
3)笹川真紀子:日本人の成人女性における性的被害調査.犯罪学雑誌 64(6):202-21-,1998
4)安藤久美子:性暴力被害者のPTSDの危険因子.精神医学 42(6):575-584,2000
5)内山絢子:高校生・大学生の性被害の経験.科学警察研究所報告防犯少年編 39(1):32-43,1998
6)矢島正見:性犯罪に対しての男と女の構図―大学生の調査から―.犯罪と非行124:100-118,2000
7)内山絢子:高校生・大学生の性被害に対する社会的態度.科学警察研究所報告防犯少年編 39(1):44-51,1998
8)鈴木_悟:若年女性における痴漢被害の実態.科学警察研究所報告防犯少年編40(2),2000
9)針間克己:性非行少年の心理療法、有斐閣,2001