1993年の「Transsexualism,medicine and law」における Goorenの論文「 Biological aspects of transsexualism and their relavance to its legal aspects」の全訳です。部分訳は、2000年発行の「性同一性障害と法律」に収められています。

性転換症の生物学的側面およびその法的側面への関連性

L.J.G.Gooren (針間克己 訳)

訳者より
 オランダのFree University HospitalのGooren博士は、性同一性障害の生物学的研究に関する世界的権威である。1999年の14回世界性科学会では、性同一性障害のワークショップの講師を務め、幸いにも訳者もその講義を聴き、質問をし、生物学的基礎に関し理解を深まる機会を得た。
 さて、本論文は、法的側面との関連性の視点からの、性同一性障害の生物学的要因に関する総説である。我が国では、性同一性障害の生物学的要因に関するすぐれた総説が乏しく、性同一性障害に関する法的議論は、えてして生物学的理解が不十分なままなされる傾向を感じる。そうした中、本論文は、有用な参照資料となりうると思われるので、主要部分を訳し、紹介する。

訳者追記
 本論文は1993年に出されたものである。その後の新たな重要な知見として、Goorenらによる1995年Natureに発表された分界条床核に関する研究があるので簡単に紹介する。この研究は、死後の脳を調べることで、男性、女性、同性愛男性、MTFの分界条床核の体積を測定し、比較したものだが、MTFでは男性より優位に小さく、女性とほぼ等しいものであった。また、男性の性的指向、すなわち異性愛か同性愛かということは分界条床核の大きさとは関係が示されなかった。なお、この分界条床核とは、性行動に関係が深いとされる脳の神経細胞群である。

訳語注
1. 原文はtranssexualismという用語を用いているため、我が国で医学用語として一般的な「性同一性障害」ではなく、「性転換症」の訳語を用いた。
2. assignは性別を「判定する」と訳されることも多いが、「割り当てる」と訳した。  


性転換症の生物学的側面およびその法的側面への関連性

L.J.G.Gooren (針間克己 訳)

要約
 
 性転換症は生物学者にとって依然として不可解な問題のままである。性転換症は男性としてまたは女性として「自然」であることを拒む。この一世紀の間に、男性または女性になる性分化過程は多段階の過程であることが明らかになってきた。それぞれの段階で、男性または女性の方向へと発達する生物学的可能性がある。さらに、それぞれの段階で時間の制限枠、つまり発達を決定づける臨界期がある。昔より、性分化過程は外性器の形成により完成すると推測されてきて、外性器は生後すぐの性別割り当ての決定基準の一つとなっていた。しかし、ここ数十年にわたって明らかになったのだが、性分化過程の最終段階は外性器の形成ではなく、脳にも性分化が起こり、その性分化は人間では生後に起こる。知見は決定的なものではないものの、現在では、性転換症者においては、脳の性分化過程は先行して分化した性決定基準(性染色体、性腺、生殖器)から予期される性分化過程へとは進まず、反対の性別へと分化したと認めうる研究結果がある。外性器を決定基準とする誕生時の性別割り当ては、統計的には信頼できる生後の脳の性分化の予想方法である。しかし、外性器の性質から予想される脳の性分化過程へとは進まない例外、すなわち性転換症者に対しては、法は条項を定める必要がある。
 
性転換症の生物学的側面

 ほとんどの性転換症者の生物学的研究者は、もし存在すればその病態を説明しうる、性染色体異常、性腺や性器の異常、循環している末梢の性ホルモン値の異常は性転換症者にはないといういうことを見いだしてきた(Gooren,1984)。現在では、これらの異常がないことそのものが性転換症の診断基準の一つとなっている。もしこれらの生物学的尺度に偏倚があり、その結果として身体的ないしは心理的に性別に曖昧さがある場合には、性転換症という診断名はもはや使用されず、(偽性)半陰陽という診断名がむしろ使用される。臨床検査で調べうる異常な生物学的パラメーターを全く明示することができないということは、性転換症は心理的状況、つまり条件付けされた社会的学習の産物だとの観点を導くかもしれない。しかし、生前に性器の形態を決定づけるものと同じ性腺ホルモンはまた同様に、性的に二形性に脳の形態と機能に影響を与えるという知見は、性転換症の脳の性分化は性染色体の型とそれに引き続く性腺によって導かれる性分化の道筋はたどらないという長期間保持されている仮説を強化する。この仮説は理論的には性腺および性器の解剖学的性分化と性同一性の不一致を説明する。

性分化の一般的な生物学的原則

 この150年間にわたって、男性ないし女性への性分化が、哺乳類においては多段階の過程、すなわち明白に分かれる段階の中で起こる過程、であることが明白になってきた。それぞれの段階は、男性または女性の方向へと発達する生物学的可能性があるという特徴がある。さらに、それぞれの段階は、臨界期があり、つまり、発達における個々の段階は、時間枠という発達においてのある決定的な時期においてのみ起こる。いったんこの時期が過ぎれば、組織体は逆行できない点に到達したこととなる。言い換えるならば、後戻りは不可能である。性分化過程は、受精の時に決定する、性染色体の違いにより開始する。男性型は母親からのX染色体と父親からのY染色体により構成され、女性型はそれぞれの親からのX染色体により構成される。ヒトに関する限り、身体中の全ての細胞に存在する、性特異の染色体構成が、直接にその人の性的状態に影響を与える証拠はない。しかし、Y染色体がある場合には精巣で、2つのX染色体の場合には卵巣という、胎芽の性腺原基の性質の決定が、間接的影響を与える可能性はある。受精後約8週で精巣が発達しホルモン上活動し始めるのに対し、卵巣は受精後16週まで不活性である。精巣は受精後8週から22週の間に高値のテストステロンを分泌し始め(Wilson et al.、1981)、これが男性胎児の血流中のテストステロンの高値を引き起こす。これが男性胎児と女性胎児間に本質的相違を生み出す。適量のアンドロゲン分泌によって、胎児は男性へとさらに分化する。この単純さで、この法則は哺乳類全般に適用され、それは性染色体や性腺の性別に関わらない。この法則はまた、アンドロゲンの由来や関与する組織系に関わらず適用される。この操作的機構を制限するものは、ホルモンの量と作用の時期である。つまり、アンドロゲン特異の効果を誘導するには決定的な発達時期が存在する。テストステロンの存在(男性)や欠如(女性)は結果として、男女両方に存在する2つの中腎の導管系をもとに内性器の分化を引き起こす。アンドロゲンが性分化の運命を決定づけるという法則の例外は、男性胎児における子宮発達の抑制が、ステロイド系でない精巣産生物質であるミューラー管退縮物質によるということだ。男女共に外性器は同一の原基に由来し、男性への発達はテストステロンの活動が介在するが、外性器形成ではテストステロンは異なる分子体である5αデヒドロテストステロンに転換される必要がある。解剖学的性分化に関する限り、上述した原則はほとんどの哺乳類と同様にヒトの発達にも適用されると、現在では一般的に合意されている。ヒトの脳の性分化に関する有用な情報は少ない。下等な哺乳類においては、性器性分化に関わる同じ組織構成化原則を、同様に脳の性分化にも適用できるという研究結果が蓄積されている。脳組織がテストステロンの存在によりホルモン上男性化されるか、または、そのようなホルモン刺激の欠如により女性化される。将来の性交パターンは以下の図式に従って、脳の中に刷り込まれる。雌は生来の発達型であり、男性への発達は十分な量のテストステロンやその誘導ホルモンが脳の性分化の臨界期に存在したときのみに起こる。過去30年間の研究が示すところでは、少なくとも下等哺乳類に関しては、この脳の性分化は確かな科学的知見の一つである。

 下等哺乳類に対して、発達の臨界期にホルモン操作を行うと、結果として、反対の性別の行動を引き起こす。言い換えると、一方の性別の性腺と外性器を有するネズミやテンジクネズミは、成長後に他方の性別の典型的な性行動を示すように、ホルモン操作をすることができる。

 猿やヒトなどの高等哺乳類では、このホルモン的に決定される脳の性分化機構が同様に操作できることを証明するのは非常に困難である。

性転換症研究の動物モデル

 生命医学は仮説を検証するために、実験のための動物モデルを十分に用いる。そして、それにより得られた結果は臨床上の医学知識を進歩させてきた。種の間の相違は見いださうるが、器官や組織体系の機能的原則は種の間でも一般的には一致するように思われる。それゆえ、生命医学科学が、性転換症や同性愛といった現象を生物学的に支持するものを探求するために動物実験に頼ることは、驚くべきことではない。実際に、臨界期として限られれた周産期中に、反対の性別へのホルモン操作を動物に行えば、生後の反対の性別へと性行動を引き起こすことが可能である。この観察は、この行動の生物学的根拠を示すものとして、ひき続いて解釈されてきた。
    
 しかし、この推論を妥当性のないものとする多くの反対意見がある。動物の性行動の研究はほとんど例外なく、運動行動パターンの観察によっており、これは、ある種においては非常に性別に特異的なものである。例えば、ネズミやテンジクネズミでは、雌はロードシスをし、雄はマウンテイングをし挿入する。ヒトでは、このような非常に性別に特異的な男性的ないしは女性的な性交の運動パターンはない(Beach,1979)。それゆえに、交尾体位の動物モデルが、ヒトにおける全ての男性性ないしは女性性のマーカーとして信頼して使用できるのかは疑わしい。生命医学は通常はセクシュアリテイを生殖行動と同一視し(Money,1981)、しばしば生殖生物学と呼ぶ。ここには強い目的論(自然の過程はある目的によって形成され、推進力を持って目指すところに方向付けられているとする学説)の要素がある。目的論の視点からすれば、男性の性腺と性器を持ったある個人が男性の生殖役割を果たし、異性愛の性交活動の目的へと方向付けされた男性の脳の性分化を有することは、非常に合理的である。

 性同一性は言語発達を前提とする認知過程である。それゆえ、動物の性科学との一致は見いだされそうにない(Meyer-Bahlburg,1982.)。性転換症の性生活史は、彼らの性活動は必ずしも彼らの性別違和の問題を示すものではないことを明らかにする。例えばあるMTFの性転換症者は性的指向は女性に対してであり、あるFTMの性転換症者の性的指向は男性に対してである。彼らの性的活動の観察は、おそらく彼らの性別違和について何の手がかりも示さないだろう。性別違和の問題を構成するのは、明らかに、彼らの性器形態や二次性徴と一致しない、彼らの自己体験上の性同一性である。

血中ホルモン値とその性同一性役割への関連

 性腺で産生されるホルモンは2つの主要な方法によって、脊椎動物の様々な行動に影響を与える。まず第一に、性行動に介在するように運命づけられた、出生前の脳の部分に働く(すなわち組織化効果)。前述した概略のように、雄と雌の構造と機能の差異は、ある特定の周産期の時期に、テストステロン(ないしはその代謝物であるエストラジオールやジヒドロテストステロン)の存在(雄)か欠如(雌)によって決定することが示されている(Baum,1979;McEwen,1983;Young,1961)。アンドロゲンへの暴露は雄型の発達を引き起こす。アンドロゲンへの暴露の欠如は雌型の発達を引き起こす。性分化においてテストステロンは中心的役割を果たすことから、テストステロンは「雄」ホルモンと見なされることとなった。この考えは、テストステロンは成長した雄において性的誘発と反応を高めるという観察(Davidson et al,1982)により、さらに強められる。エストロゲンとプロゲステロンの雌の生殖に果たす役割、および下等哺乳類においては性行動に果たす役割は堅固に確立している(Baum,1983)一方で、ヒトにおいて性的誘発と反応に果たすその役割は、複雑で不確かである(Sanders and Bancroft,1982)。エストロゲンないしプロゲスタゲンを成長した雄に投与すると、性機能が損なわれる。既述した観察所見は結果として、「雄」と「雌」ホルモンの二分法へとの考えに至らせる。

 男性の同性愛と性転換症(脳の男性偽性半陰陽の一種と見なして)は「雄」ホルモンの欠如や「雌」ホルモンの過剰と、また女性の同性愛と性転換症はその逆と関連づけられてきた。ホルモン同定の技術の発達に伴い、このような関連を検証した幾つかの研究が発表されている。すぐれて詳細にわたるレビューをMeyer-bahlburg(1982,1984)が発表しており、彼は多くの研究で用いられている研究方法を批判し、末梢の性ステロイドは同性愛の性的指向や性別違和の原因論や現象論で役割を果たしていそうにないと結論づけている。

ヒトでのホルモン誘導性の脳の性分化

 性腺刺激ホルモン分泌の種類は周産期におけるヒトの脳の性分化の信頼できる指標となりうるか?発情期の特定の時期において、十分な量と十分な作用期間でエストロゲン投与を受けると、成長した雌動物の反応として、最初に黄体化ホルモン(LH)値の減少が起き、引き続いて、黄体化ホルモン放出因子(LHRH)へのより大きなLHの反応によって生じるLH値の上昇が起こる。この反応は正のエストロゲンフィードバックと呼ばれる(Young and Jaffe,1976)。雄の神経内分泌系では、アンドロゲン(またはアンドロゲン誘導のエストロゲン)への暴露を、胎児期または周産期発達の臨界期に、十分な量と期間で受けると、この反応の能力はなくなるように思われる(Dorner,1980)。

 正常性腺を有する雄のLH値は、エストロゲン刺激に対し単に減少だけの反応となる。これは負のエストロゲンフィードバックと呼ばれる。下等哺乳類では、このエストロゲンフィードバックの性差は、出生前ないし周産期の性ステロイド暴露に決定的に結びついている。これはヒトを含む霊長類にも該当すると思われ、正常性腺を有する成人男性は負のエストロゲンフィードバック効果を示す一方、成人女性は正のエストロゲンフィードバック効果(OPFE)を示す。この性差の原因を、LH分泌に関わる中枢神経系の神経内分泌領域の周産期における性分化に求めるのは合理的に思われる。しかし、Karschらは(1973)、エストロゲン刺激に対する下垂体反応の性分化は、齧歯類と霊長類とでは明らかに違うことを示した。雄のマカク猿に睾丸摘出術を行うと、この性差はもはや示されず、雄猿は質的にも量的にも雌と同様のOPFEを示した。これは後に、ヒトでも同様に適用されることがわかった。精巣機能に障害のある男性では、エストロゲン投与の後に、OPFEが喚起された(Barbarino et al.,1983)。睾丸摘出手術およびホルモン療法を行う前はMTF性転換症者の群は全て負のエストロゲンフィードバック効果を示した。その一方で、睾丸摘出術およびエストロゲン治療の後には同じ群の人々がOPFEを示した。要するに、同一人物でのエストロゲンフィードバック効果の型の反転であり、ヒトではエストロゲンフィードバック効果の型は周産期に絶対的に改変不可に決定されるものではないことを明らかにしている。この実験はまた、男性ではOPFEの喚起を妨げているのは、中枢系ではなく、精巣の何らかの特性であることを示している。男性におけるOPFEを妨げているのは、主要な精巣ホルモンであるテストステロンではと推測するかもしれないが、それは、猿の実験や(Westfahl et al.,1984)、テストステロン治療を受けているFTM性転換症(Goh et al.,1985)で示されたように事実ではない。しかし、Gooren(1986a)の実験によれば、卵巣摘出したFTM性転換症ではテストステロンはOPFE喚起の抑制効果があり、そこではテストステロン値はGohらの実験より高値であった。まだ同定されない精巣産生物が男性におせるOPFEの発生を抑制している可能性は非常に高い。この考えは、Aonoら(1978)やVan Lookら(1977)が直面した、アンドロゲン不能症候群(AIS)患者で負のエストロゲンフィードバック効果が見いだされることへの解釈上の問題を解決するかもしれない。この研究者達は、負のエストロゲンフィードバック効果が睾丸摘出されていないAIS患者で発生することの理由を、脳神経内分泌系が男性型であるためと考えた。しかし、Gooren(1987)はエストロゲンフィードバック効果の負から正への反転が、AIS患者の睾丸摘出術の後に起こることを示し、同時期に他の研究者(Goretzlehner et al.,1987;Marceli et al.,1987)からも報告された。また、正のエストロゲンフィードバック効果が胎児の下垂体(胎生16-25週)で、胎児の性別に関わらず、喚起されることが示されている(Dumestic et al.,1987)。Dorner(1980)によれば、この胎生16-25週は神経内分泌機能の性差が発生する週数を越えている。

 霊長類における別の印象的な、性腺刺激ホルモン分泌を制御する神経内分泌構造の性分化が存在しないことを証明するものをNormanとSpies(1986)が提示している。それによれば、雄のマカク猿は睾丸摘出術と卵巣移植の後に、周期的な性腺刺激ホルモン分泌をするようになった。先天性副腎皮質過形成の女性は、胎生12週にその副腎が機能し始めてからは、高値の血中アンドロゲン濃度をしばしば示す。その病態はグルココルチコイド投与により、首尾よく治療可能で、排卵周期を得て、出産能力を持ちうる。これらの知見は、生前における非常に大量のアンドロゲン(ないしアンドロゲン誘導のエストロゲン)過剰があるとその女性は後に正常の月経周期を持ち得ないという、Dorner(1980)によって提案された脳のアンドロゲン化仮説概念に矛盾する。
 現在ではまた、齧歯類と霊長類間における正のエストロゲンフィードバックの内分泌制御の違いの研究がなされている。雌猿ではLHRHの決まった量と速度での投与、ないしは、LHRH投与の48時間の遮断ですら 正のエストロゲン反応を引き起こす結果となる。ネズミでは対照的に中枢神経の神経内分泌の関与はより複雑と思われる(Karsch,1987)。

 Seylerら(1978)の報告では、FTM性転換症者ではより男性的なエストロゲンフィードバックを示したが、これはより厳格な内分泌的方法論を用いた他の研究者(Wiesen and Futterweit,1983;Gooren,1986b)の追試では確認されなかった。

 Dornerら(1983a)は、MTF性転換症者の亜群(性的指向が女性に向かうものと比較対照した性的指向が男性に向かうものの群)で正のエストロゲンフィ−ドバックが見いだされたと主張したが、他の研究者(Goodman et al.1985;Gooren,,1986b)では確認されなかった。エストロゲン暴露の後のLHRHへ反応するLHの増加が、正のエストロゲンフィ−ドバックの本質的な要素である(Young and Jaffe,1976)。このことは、性転換症者や同性愛者における正のエストロゲンフィ−ドバックを検査しているほとんどの研究者により無視されている(Dorner,1980;Gradue et al.,1984)。Goorenの研究(1986b)によれば、エストロゲンフィ−ドバックの反応ははっきりとMTF性転換症者(睾丸摘出術とホルモン療法の前)では負であり、FTM性転換症者(治療前)では正である。さらに彼らと、染色体上/性腺上/性器上の性別を一致させた対照群との間に何の差異も発見されなかった。視床下部の神経からのLHRH放出は多数の脳化学物質により制御されており、その脳化学物質の中にはアヘン誘導体やカテコラミンがあり、それらが視床下部から放出される時間単位あたりのLHRHパルス数に影響を与えている可能性がある。

 以下述べるMTF性転換症者と性転換症でない男性間の差異(Spijkstra et al.,1989)やFTM性転換症者と性転換症でない女性間の差異(Spinder et al.,1989)は発見されなかった。これらの研究では厳格な内分泌方法論を用い、Futterweitら(1986)により報告された、多嚢性卵巣、過小月経、無月経の高い有病率を確認することはできなかった。Spijkstraら(1988)やSpinderら(1989)のより多くの性転換症者を対象にした研究では、Kulaら(1986)により見いだされた性転換症者での平均LH値が高値であることも確認されず、BoyarとAiman(1982)により見いだされた性転換症者でのLHのパルスと大きさの違いも再認できなかった。また、LHRHパルス産生体へのアヘン誘導体作用を阻害する抗アヘン誘導体であるナロキセンを用いた研究でも、性転換症者はそうでないものと差異はなかった(Gooren,1984b)。

 かくして、文献で報告されたデータやGoorenらの研究を根拠に、LH分泌の神経内分泌制御に関しては、性転換症者と性転換症でないものとの間に差異はないと我々は確信する。これは驚くべきことではない。なぜなら霊長類では(下等哺乳類と比較し)、LH分泌の神経内分泌制御は、脳の性分化の信頼できる指標でありそうではないからだ。

出生前内分泌環境異常の性同一性に与える影響

 ヒトにおいて出生前内分泌環境異常(女性におけるアンドロゲンないしエストロゲン過剰と男性におけるアンドロゲン欠如ないし不応)の性同一性発達に与える影響は何か?

 下等哺乳類における出生前の脳の性分化に与える性ホルモンの潜在的役割の観点からは、出生前環境がその遺伝的/性腺的性別にとって異常であった(女性におけるアンドロゲンないしエストロゲン過剰と男性におけるアンドロゲン欠如ないし不応)ものに対して、性同一性/性役割を調査するのは適切なことである。情報の出所はいわゆる自然実験や医療実験、つまり胎児に自然に発生したり、薬物またはホルモン療法を受けた妊婦の子供に発生する内分泌障害からである。いくつかの相関関係が出生前環境異常とその後の性同一性/性役割ないしは性指向との間に発見されている(レビュー参照Meyer-Bahlburg,1984)。

 これらの研究を比較するにあたって内分泌視点から注目すべきことは、出生前内分泌環境の相似が性同一性/性役割ないしは性指向での相違という結果になるかもしれず、その逆もまた然りということだ。この結果は、データを類似の内分泌環境を有する臨床単位や症候群から得られるデータと比較することなしに、注意をただ一つの内分泌要因に向け、そしてその要因を性同一性/性役割ないしは性指向の発達に推定的に連結する研究者からはしばしば認識されない。以下の症候群は検討の必要がある。
1)完全型および不完全型のアンドロゲン不応症候群(AIS)。この症候群の46XYのものは生殖腺として精巣を有しテストステロンを産出するが、この障害の遺伝的発現の程度によって、女性ないしは性別判別困難な外性器を有し生まれてくる。完全型AISの場合、誕生時にこの疾患は認識されることなく、その後は外性器の外観を根拠に女性として育てられる。10代になっても初経が起こらない時になって初めて医療専門家の診察を受けに来る。彼らの精巣は、正常男性と匹敵するないしはより高値の量のテストステロンを産生するが、視床下部下垂体系のフィードバック不応の結果、テストステロンはその生物学的作用をアンドロゲン受容体組織障害によって行使できない。彼らは思春期の胸部の形成に十分な量のエストラジオールをテストステロンから芳香化する能力は欠如していない(MacDonald et al.,1979)。この症候群の動物モデルが示すところでは、テストステロンは出生前にエストラジオールへと代謝され、このことは脳を介在してその後の性行動を脱女性化する効果がある(Olsen,1979;Shapiro et al.,1980)。ヒトの胎児でもまたテストステロンをエストラジオールへと代謝する能力を有し、これは脳の性分化への影響を与える可能性がある。AIS患者の追跡調査研究ではっきりと示されたのは、彼らは女性としての性同一性と男性への性指向を有するということだが(Money et al.,1984)、GoorenとCohen-Kettenis(1991)はこの法則の例外症例を認めた。非常に興味深いLewisとMoney(1986)の研究は二つの症候群、AISとMayer-Rokitansky-Kuester症候群の患者を比較したものである。後者の症候群は膣、子宮、輸卵管の局所的閉鎖に特徴づけられる疾患で、それゆえ他の部分は正常に性分化した患者は(46XX染色体型と卵巣を有す)初経がこない。二つの症候群の間に性的変化要因の変動幅に違いは見いだせなかった。全ての患者が例外なく女性としての異性愛者だった。これらの研究が示すのは、AIS患者が生前に暴露を受ける可能性の高い、アンドロゲン誘導のエストロゲンは、Tfm(精巣性雌性化)ネズミで示すような脱女性化をなさないということだ(Olsen,1979;Shapiro et al.,1980)。
    2)先天性副腎過形成(CAH)は、酵素欠損があるために副腎皮質での性ステロイド産生量が、コルチコステロイドからアンドロゲンへと移行した障害である。CAH患者はコルチコステロイド欠損がある。診断されたならば、この病態はコルチコステロイドホルモン投与により、成功裏に治療可能である。この症候群は両性に起こりうる。早期の報告はCAH女性への性別割り当ておよび養育の圧倒的影響を示した。CAH患者が女性と割り当てられたなら、結果的に女性としての性同一性を持つが、その性役割行動はよりおてんばで、活動的な遊びへの強い関心を示し、活発にエネルギーを消費する(Money and Schwartz,1977)。後のCAH患者の研究では、37%が自分自身を同性愛または両性愛と認識している(Money et al.,1984)。46XX染色体型で卵巣を有したCAH患者のあるものは男性として割り当てられ、男性としての性同一性を首尾よく形成した(Money and Daley.1976;Money and Norman,1987)。

 これのデータが示すのは、誕生時に女児として認定された女性CAH患者における出生前/出生後の過度のアンドロゲン暴露は、性指向には影響を与えるかもしれないが、このことは自分自身の性別を男性として認知することを意味しないということだ。一方、外性器の男性化の程度から女性として認定されなかった女性CAH患者においては、誕生後の男性への性別割り当てに従って男性としての性同一性形成が可能である。

3)性同一性形成に与えるテストステロンの強力な効果の例としてしばしば引用されるのはImperato-McGinleyら(1979)の研究である。彼は、ドミニカ共和国の同系住民にみられた家族性偽性半陰陽を記述した。対象はテストステロンを5αジヒドロテストステロン(DHT)へと変換する酵素である5α還元酵素の欠損患者である。DHTは胎児の男性外性器の成長と思春期における前立腺の活性化と陰毛の成長に必要なものである。結果として、この疾患の男性患者は陰唇様の陰嚢と小さく陰核様のファルスと盲単の偽性膣を伴う尿生殖洞を有して生まれる。生殖器の外観は彼らの性別に関しての疑問を生じさせ、その結果として曖昧な性別割り当てとなる。思春期にはそのテストステロン濃度は増加し、その結果ファルスは成長し、声は低くなり、男性の筋肉質な外貌となる。

 Imperato-McGinleyら(1979)の報告では、後思春期中に、女性として育てられたと言われる18症例中の16人が「男性性同一性」を獲得しており、このことから筆者らは生後のテストステロン(明らかに5αジヒドロテストステロンではないが)が、男性性同一性に介在する神経物質への組織化効果があると推測している。この推測は性同一性という複雑な問題に対する還元法主義者的な研究方法から、多くの批判を受けた。(Meyer-Bahlburg,1982;Money,1988)。上述した対象は女児として割り当てられたのではなく、その地方で知られる偽性半陰陽の一種(guevedoce)として割り当てられたのは確かである。5α還元酵素欠損症患者に起こる思春期の解剖学的男性化は性同一性の混乱を喚起し、それは次第に、ある困難を伴いながら、社会的に男性として再割り当てされることで、最善に解決されるだろう。なぜなら一般的な社会状況下では、男性としてならば、多くの心理社会的、経済的資産が与えられるからだ。この仮説はニューギニアにおける同疾患の症例を研究したHerdtとDavidson(1988)により裏付けられている。よく見ても、ドミニカ共和国の一群からの情報は、DHTの正常濃度の欠落があっても男性性同一性は形成可能であることを示すのに利用できるぐらいである。このことは出生前にDHTを投与すると雌のテンジクネズミ、白イタチ、マカク猿においての交接行動能力を雄化することや、出生前にDHTをエストロゲンと組み合わせて投与すると、エストロゲンないしはDHTを単独に投与するよりいっそう効果的にある種のネズミを雄化する(Baum,1979)という動物実験から得られた情報と対照的である。

4) エストロゲンないしエストロゲン作用性の薬物[ジエチルスチルベストール(DES)が広く用いられている]とプロゲスタゲンは著しく1940年から1970年の間、妊娠女性に対して投与された。その子供の性同一性は出生前の内分泌影響に関する手がかりを与えるだろう。
   
 合成プロゲスタゲンは、その化学式より、抗アンドロゲン作用性ないしは低アンドロゲン作用性生物学的活性を有する。出生前エストロゲン暴露を受けた対象の知見に関して注目すべきは、動物における性分化の一部は、局部的にエストラジオールに代謝されたアンドロゲン誘導のエストロゲンによって完成されるということである(Baum,1979;McEwen,1981)。このエストロゲンは脱女性化効果がある。それゆえ出生前の女児と男児のエストロゲンへの暴露は、この問題に適切である。これらの結果を評価するときに留意すべき点は、出生前にプロゲスタゲンやエストロゲンに暴露された男性対象者は、内因性のテストステロン産生がプロゲスタゲン/エストロゲンにより抑制されているかもしれず、それゆえこれらの物質が強力な負のフィードバック作用を、胎児で既に機能している視床下部下垂体系に行使するということだ。出生前のDESやプロゲスチンへの女児の暴露は、彼女らの女性としての自己同一化を傷害しない(Beral and Colwell,1981;Money and Matthews,1982)が、高率の同性愛または両性愛(25%)の発生率がDESに暴露した女性症例から報告されている(Ehrhardt et al.,1985)。男性では状態はいくらかより複雑である。主生前にDESないしはプロゲスチンに暴露した男性のいくつかの追跡調査研究が実際に見いだしたのは、彼らは性別に典型的な行動との不一致であるが(Yalom et al.,1973;Hines,1982;Reinisch and Sanders,1984)、性指向と男性/女性としての自己同一化との間の直線的関係、因果関係は確立されなかった(Kester et al.,1980;Meyer-Bahlburg,1984)。

出生前の母体へのストレス

 前述した知見を、ネズミにおいては出生前の母体へのストレスが、脳の芳香化活性の減少および行動上の脱男性化と女性化を伴い出生前のアンドロゲン分泌の減少を引き起こすという観察(Ward and Weisz,1980)と関連づけることは興味深い。Dorner(1983b)により提唱されたのだが、旧東ドイツにおける第二次大戦中のヒトの出生前の母体へのストレスがその男児へのアンドロゲン(およびエストロゲン)への暴露不足を招き、その結果高い同性愛と性転換症の発現率を引き起こしたという。しかしこの仮説は、SchmidtとClement(1988)が西ドイツで同時期に生まれた男児に対して同様に行った研究では確認されなかった。もし実際に、正常値より低値の胎児のアンドロゲン値を引き起こす母体へのストレス機構がヒトにも適用されるなら、DESとプロゲスタゲン暴露男性の追跡調査結果は、正常より低値の出生前アンドロゲン環境が性転換症の性別違和や同性愛になりやすいという考えと矛盾することになる。
           
脳の形態学上の性差:動物研究

 出生前ないしは周産期における外因性テストステロンがいくつかの種で性行動を男性化し、脱女性化するという知見は、テストステロンは哺乳類の脳における男性化と女性化の主要な要因であることを示唆した。続いて、エストロゲンもまた齧歯類の性行動を男性化しうることを示した。一方、ジヒドロテストステロンといった芳香化されないアンドロゲンは一般的に男性化や女性化を引き起こす効果はなかった。このことは芳香化仮説を生み(McEwen et al.,1977)、これはアンドロゲンの芳香化された代謝物が、中枢神経系(CNS)における組織化効果に欠かせないことを含意する。しかし、最近のさらなる研究が示すのは、CNSの分化のある側面はアンドロゲンそのものに依存している。ゆえに、CNSの性分化における芳香化ステロイドの主要な役割に加えて、代謝されないアンドロゲンも同様に役割を果たす。神経形態学的性差は神経機能の性差を基礎付ける(例えばArnorld and Gorski.1984)と現在広く信じられていることから、上述した観察所見は、CNS、特に視床下部の形態学上の性差研究を促進した。

 過去20年にわたって、多くのCNSにおける形態学上の性差が記述され、それは発達段階で投与されたアンドロゲンやエストロゲンの観察された永久的な行動への影響に対する神経解剖学的基盤の可能性を構成してきた。1971年、ネズミの視束前野の構造における性差が示された(Raisman and Field,1971)。それ以来多くの形態学上の性差が記述されてきた(例えば、脳のある部位の大きさ、樹状突起と軸索突起の枝分かれの型、神経接合部の分布、特定の神経伝達系の形態学)。これらの性差の多くが、発達のある限定された時期における性ステロイドの存在により決定されることが示されてきた(より広範なレビューの参照 De Vries et al.,1984)。

 いくつかの例では、これらの形態学上の性差は明確に性的二型性の機能と関係づけられる。例えば、球海綿体脊髄(運動)核は雄ネズミには存在し、雌ネズミにはない(Breeedlove and Arnold.1980)。他の例としては、鳴鳥の脳の声帯制御野のある核の性的二型性であり、これは鳴き行動の性差に関係している(De Voogd,1984)。

 しかし多くの例では、その性差の発見された脳領域が性的二型性の機能と関連がある可能性があっても、その特定の形態学上の性差の機能は明確ではない。例えば、1978年に最初Gorskiらによって記されたのだが、ネズミの視束前野の性的二型核(SDN-POA)における大きさと細胞数の明確な性差がある。これは性腺刺激ホルモンの放出に関与し、多数の形態学上の性差を示す領域に位置する(レビュー参照Gorski,1984)。生後早期に性腺ホルモンがネズミのSDNの大きさを決定することが示され、またSDNの体積と雄の交接行動との間の正の相関関係が示されている(Anderson et al.,1986)。

 さらに難問なのは明白な性的二型性の役割のない形態学上の性差である。例えば、雄ネズミの脳のバゾプレッシン(VP)の神経分布は、雌ネズミと比較し、多くの脳領域においてより密である(DeVries et al.,1981)。この性差は、成長中の雄ネズミではアンドロゲンの存在により決定するが(DeVries et al.,1981)、成長後はテストステロンとエストラジオール両方で操作可能である(DeVries et al.,1985)。しかし中枢性のVP神経分布の生理学的意味は全く不明である。ゆえにその明白な性的二型性は現在のところ性的二型性の機能と結びつかない。

脳の形態学上の性差:ヒトでの研究

 ヒトの(形態学上の)性差研究における主要な疑問の一つが、動物でのデータをヒトにも信頼して当てはめることができるか否かである。上述したように、動物実験においては研究者は性行動の観察のみに頼らざるを得ないので、自己が男性か女性であるかの認知である性同一性を動物で正確に研究するのは不可能である。さらに、高名なる動物の性行動研究者であった故Frank Beach(1979)は動物性科学からヒト性科学への安易すぎる類推に対して警告を発していた。Beachが言及したのは以下のことである。(1)ある動物モデルの性行動の観察はその種にのみ適用する。(2)異なる種での見た目の行動の相似は必ずしも同じ現象の表現ではない。(3)ヒトにおいては男性または女性の唯一の性交運動行動パターンというものはない。それゆえ交接行動の性分化に関しての動物データからヒトへの類推には注意を要する。

 脳機能の機能上、形態学上の性差研究はこれまで、また現在も、性差の呈示が女性差別への科学的賛成論として利用されるのではとの恐怖のために、ある特定の社会的風潮から反対を受けている。この点に関しては、Duberman(1991)の言葉を引用するのが適当と思われる。「科学的発見は単にいかにある性的パターンが形成されるかの洞察を与えるだけであり、どちらのある特定のパターンが”善”か”悪”であるかの洞察を与えるものではない。善か悪かは、科学ではなく文化的に必須なものを反映した倫理判断である。」
 最近、脳の性差を見いだしたいくつかの綿密な研究がある。SwaabとHofman(1984)は、身長の性差では十分な説明ができない脳重量の綿密な性差を示した。さらなる分析が明らかにしたのは、相対的な脳の大きさの性的二型性は生後二年で始まり、以後人生を通じて継続する。最初Gorskiら(1978)が記した、ネズミにおける視床下部の視束前野の性的二形核(SDN)は依然として、哺乳類の脳におけるもっとも目立つ形態学上の性差である。その細胞群は雄のものがより広く、はっきりとした細胞構造上の性差を伴ったより多くの神経細胞を含有する。SDNの障害はネズミの雄としての性行動に影響を与えるが、その影響はそれほど強いものではないため、SDNの主要な役割は現在解明中のところであろう。SwaabとFliers(1985)は、ヒトにおいて視床下部の視束前野にあるSDNを示した。その判断根拠は、位置と細胞構造がネズミのSDN(Gorski et al.,1978)と一致することだが、決定的証拠は欠けている。ヒトのSDNの形態学上の分析が示すには、成人男性では女性と比較し、二倍以上の大きさで、二倍の細胞を有す。SwaabとFliers(1985)の観察では、他の視床下部の細胞核に性差はなかった。興味深いことに、その性差の大きさは、一生を通じて一定ではないことがわかった。妊娠中にSDNはすでにヒトの胎児の脳において同定することができる。SDNの細胞数は誕生時は性的二型性ではない。生後の最初の時期は2-4才になるまで、男児においても女児においても急速な細胞数の増加が起こる。この年齢を過ぎて初めてSDNに性分化が始まる。細胞数と体積両方の減少によって、女児は男児より、SDNが小さくなり、性差がなくなるほど細胞数が減少する50才になるまで、この変数は不変のままである(Swaab and Hofman,1988)(Hofman and Swaab,1988)。

 他の性的二型性の核を報告した多くの研究がある。Allenら(1989)が記述したのは、視床下部の視束前野の他の二つの細胞群(INAH-2とINAH-3)で、男性脳では女性脳と比較しより大きい。LeVay(1991)はINAH-2の性差を確認できなかったが、INAH-3の性差は見いだせた。これらの性差が確定的なものとして受け入れられるには、その前に免疫細胞化学的分析と細胞数計測の実行が必要である。AllenとGorski(1990)が記述したその他の性差は、彼らが「分界条床核の不明瞭に染色された後内側の構成部分」と呼ぶ、男性が女性の2,5倍の大きさを持つ領域がある。

 視交叉上核は多様なホルモン、心理、行動のサーカデイアンリズムを産生し、調整する哺乳類の体内時計機構の主要な構成要素と考えられている(Rusak and Zucker,1979)。その大きさではなくその形は、ヒトの脳で性的二型性であることが示されている。女性においてはその形はより細長く、男性ではより丸い。上述した知見のより詳細なレビューが知りたければ、Swaab、Gooren、Hofman(1992)の最近の著作を参照するように。

脳の形態学と性同一性と性指向

 筆者が強調したいのは、性同一性と性指向は二つの異なった性質の問題だということだ。同性に向かう性指向は反対の性別の性同一性を意味しない。その逆もまた同じで、反対の性別の性同一性を持つものはどちらの性に対しても性的指向を持ちうる(MTF性転換症の約30%が女性への性指向を示し、FTM性転換症では10%以下のものが男性への性指向を持つ)。

 ここで性同一性と性指向を共に述べる理由は、この問題に関する科学的報告が、いつも明確な区別をしてるわけではないからだ。

 SwaabとHofman(1990)の研究では、異性愛者と同性愛者の間に、性的二形核の体積と細胞数の違いを見いだせなかった。このことより彼らは、男性の同性愛者は女性脳の性分化を有しているというDoner(1980)の世界的仮説を論破した。しかし、彼らは同性愛者の視交叉上核(SCN)が、男性と女性の対照群と比較し2.1倍の細胞数を有することを発見した。注意すべきことは、SCNは体積でも細胞数でも性差を示さないことだ(レビュー:Swaab,Gooren and Hofman,1992)。

 1991年LeVayが報告したのは、前視床下部間質核第三亜核(INAH-3)が、同性愛男性において、異性愛男性より小さく、女性に近い大きさであったというものだ。LeVayは調査をその核の大きさの測定に限定していた。彼の発見が確実なものとして受け入れられるには、細胞数の測定が必要だ(Swaab,Gooren and Hofman,1992)。

 これまでのところ、性転換症者の脳に関する形態学上のデータは極めて限定されている。これまで3人だけのMTF性転換症者の調査結果が報告されている(Swaab,Gooren and Hofman,1992)。そのうちの2つは大きく細胞数の多いSCN(同性愛男性と類似したパターン)と、小さく細胞数の少ない性的二形核を有す(女性と類似のパターン)ように見えた。しかし、3人目の性転換症者においては、全く逆の、つまり小さなSCNと大きなSDNを有すことが明らかにされた。

 3人の性転換症者間の違いは、彼らの性指向とは関連づけることができなかった。限られた結果から確立できる関係性は、大きなSCNと小さなSDNはいわゆる早発性の性転換症と、また小さなSCNと大きなSDNは遅発性の性転換症と関係があるかもしれないということだ。いうまでもなく、上述の結果は断定的結論を出すにはあまりにも数が限られている。関連することとしては、3人の性転換症者において、視床下部脳構造の形態学上性差が示されたということだ。現在の脳の画像技術は、十分には進歩していないために、生体におけるSDNやSCNのような小さな脳構造に関する情報を示せない。

性ホルモンと脳の性分化の関連性

 下等哺乳類(ネズミやテンジクネズミ)においては、両性における性ホルモンと形態学上機能上の脳の性差の関係は直接的なものである。(芳香化できる)アンドロゲンの存在が雄の脳の発達には必要な一方、アンドロゲンの欠落が雌の脳の機能には必要だ。また、分化過程の時期も知られていて、周産期つまり、種により異なるが、誕生の直前か直後である。下等哺乳類の脳の性分化は、性器の雄ないし雌への分化がずっと前に完成した後に起こる。ヒトだけでなく他の霊長類でも性ステロイドと脳の性分化の関係は、下等哺乳類ほど明確ではない。ヒトではただ、SDNとSCNの年齢との関係における発達の型のみが、報告されている(Swaab and Hofman,1988;Swaab,Hofman and Honnenbier,1990)。SDNは3-4才になって、始めて十分に性的二型性になり、一方SCNの細胞数は生後13-16ヶ月の頃に最大となり、その後は最大時の35%の成人の細胞数へと向かって減少していく。思春期前に、男児の発達においては、女児と比較して明らかにテストステロン値が上昇する二つの時期がある。胎生8-14週の性器形成の時期と生後まもなくの60-90日の時期である。後者のテストステロン値の上昇の生物学的意味はヒトにおいては知られていない。GoorenとCohen-Kettenis(1988)は、分娩中の事故で両方の精巣を失ったにもかかわらず、男性としての性同一性を現し、20才時の調査で女性への性指向を示した男児症例を報告している。同じ著者(Gooren and Cohen-Kettenis,1991)の報告では、46XYでAISの患者が男性としての性同一性/性役割を持ち、女性への性指向を有した。AISは遺伝的誤りで、アンドロゲン受容体の欠陥により、身体の細胞のアンドロゲン作用への不感応を引き起こす。この疾患の患者は、男性の脳の性分化に関与するエストロゲン作用は感受するが、このことは、ほとんどたいていの場合に、46XYでAISのものがはっきりとした女性としての性同一性を現す(Money,Schwartz and Lewis,1984)という観察所見とは適合しない。 最近のLishら(1992)の報告によれば、60人の対象女性において、生前のジエチルスチルベストロールへの暴露は子供時代の遊びや大人になっての性役割行動には影響しない。

 対照的に、脳の形態学上の研究は、SDNへの性ステロイドの影響の可能性の証拠を示した。プラダーウイリー症候群(先天性のLHRH欠損と欠損がもたらす卵巣機能不全)の30才女性では小さなSDNであった(Swaab and Hofman,1988)。また、47XXY染色体型(クラインフェルター症候群)の男性では、小さなSDNであったが、下垂体無形成により生後直後に死亡した男児では年齢相応の正常な大きさのSDNであった(Swaab,Gooren and Hofman,1992)。

 その他の形態学上の脳の性差の報告からは、脳の性分化がいつ始まるかはわからず、それゆえに成長過程におけるホルモン変化と関連づけることは不可能である。

 結局、結論は、性ホルモンと脳の性的二型性間の直接的関係は確立できないということになるしかない。その関係は、性ホルモンは、ホルモン上の出来事自体より数年後に初めて現れるある過程を誘導するという意味において、間接的なものだろうが、この推測は思弁的である。脳の形態学上の性差の発達は生後3-4才より早くないという発見は、心理社会的性質によるものも除外できない、生後の脳の性分化の舵取り機構の理論的可能性を示す。

脳機能性差.性転換症者での研究

 いくつかの研究において、脳の左右差、言語能力、空間能力が性別により異なることが見いだされてきた。女性は男性より言語課題の達成が優れ、男性は女性より空間課題の達成が優れる傾向がある。また、女性は男性より、左右差が少ない(Kerns and Berenbaum,1991;Halpen,19896;Kimura,1988)。これらの性差は絶対的なものではなく、これらの「特質」がもっともふさわしい言い方である。つまり、性別に分け与えられた閾値の違い、言い換えるならば、一方の性別で他方と比較して、より現れやすい。何人かの研究者が、これらの相対的性差を、出生前の性ステロイド暴露と結びつけることを試み、実際にいくつかの相関関係が認められた。先天性副腎皮質過形成の女性は、出生前に正常より高値のアンドロゲン濃度の暴露を受け、対照群女性と比較して高い空間能力を示した(Resnic,Berenbaum,Gottesman and Bouchard,1986;Reinisch,Ziemba-Davis,Sanders,1991)。一方、出生前に正常より低値のテストステロン暴露を受けた低ゴナドトロピン症男性では、対照群より、低い空間能力であった(Hier and Crowley,1982)。ジエチルスチルベストロールの暴露を受けた男性では、その暴露されなかった兄弟と比較して、脳の左右差は少なかった。一方、ジエチルスチルベストロールの暴露を受けた女性では、その暴露されなかった姉妹と比較して、脳の左右差は大きかった(Reinsch and Sanders,1992)。GeschwindとGalaburda(1985)の唱えた仮説によれば、同性愛者と性転換症の男性は、推定上の出生前のアンドロゲンへの暴露不足によって、左利きの高い出現率を示す。しかし、アンドロゲン暴露不足という要因は、同性愛において原因論的重要性があるのかについて、強く疑問が持たれている(Gooren,Fliers and Courtney,1990)。TkachukとZucker(1992)は脳機能の違いを見いだせなかった。他の研究者は、空間能力において、異性愛者は同性愛者より高値を示すことを見いだした(Gladue et al.,1990;McCormick and Wittelson,1991)。他の研究者はこの知見を追試で確認できなかった(Tittle and Pillard,1991)。

 性転換症の有病率はかなり少ないために、これらの研究は実行が比較的困難であるが、有用ないくつかの結果がある。性同一性の問題のある少年は、ウエクスラー児童知能検査で、空間課題より言語課題の成績が優位に高く、空間能力に相対的欠陥があるが、言語能力に相対的高能力はなかった(Zucker,1991)。17人のMTFおよびFTMの性転換症者の成人群においては、ウエクスラー検査での特徴的な結果は得られなかった(Hunt,Carr and Hampson,1981)。対照的に、La TorreとGossmanとPiper(1976)の報告では、8人のMTFの性転換症は数字記憶検査で、男性対照群より低得点であり、女性の結果に近いものであった。最近の研究では、対照群と比較して二倍に高い左利きの発現率が、MTFとFTMの性転換症者双方で見いだされた(Orlebeke,Boomsma,Gooren,Verschoor and Van den Bree,1993)。この結果は、McCormic、Witelson、Kingstone(1990)が同性愛者で見いだした知見と類似した結果である。

 Cohen-Kettenis、Doom、Gooren(1992)による研究では、ホルモン療法の対象となる資格を有する35人のMTFと12人のFTMの性転換症者を検査し、年齢、性別、教育水準をマッチさせた対照群と比較した。被験者は、左右違う音の聞き取り検査、二次元回転検査、言語記憶検査、手の器用さについての質問紙法による調査、性的指向と自己体験上の男性性/女性性に関する簡単な質問紙法による調査を受けた。
 右利きのMTFとFTMの性転換症者は対照群と比較して、左右違う音の聞き取り検査において優位に左右差が少なかった。回転検査では結果は予想した方向性のものであった。統計的優位差は示されなかったものの、MTFの性転換症者では対象男性と比較して成績は悪く、一方、FTMの性転換症者では対象女性と比較して成績は良好であった。言語記憶検査では、MTFの性転換症者は対象男性と比較して優位に成績は良好で、一方で、FTMの性転換症者ではその逆が示された。MTF性転換症者群では、空間能力は男性性得点と相関関係があった。

 要約。その違いは厳密な意味においては差が示されるものではないが、性転換症者になされた研究は、対照群と比較しての脳機能の差を示す。この現象の説明として、出生前の異常な内分泌環境との関係を断定することは困難であった。他の論文で議論されているが、(Gooren,1990)、ホルモン上の出来事が性同一性の確立に重要な役割を果たしているかについては疑問がある。また、脳機能の性差や性転換症者での異常パターンに関しても、他の要因がより作用しているようにも思われるが、それはまだ特定されていない。 
    
異常性分化過程を有するものの追跡調査研究

 一段階ないしはそれ以上の性分化の段階で他の性分化段階とは異なる異常のあったものへの追跡調査は、John Moneyの代表的研究である。彼の結論の一つは、(偽性)半陰陽の場合は性別の割り当てと養育が、その人が後の人生に確立する性同一性/性役割を予想するものとして、他の変数と比較してもっとも正確であるというものだ。他の変数とは染色体の性の性質、性腺の発達、性ホルモン値、生殖器解剖である。この知見があれば、性転換症における身体と性同一性/性役割の不一致はより理解できるものになる。彼の結論は、性分化異常を有する子供の将来の性同一性/性役割が、性別割り当てや養育といった「非生物学的」要素のみで他の要素は関与せずに決定されるものだと断言していると、しばしば誤解されてきた。事実は、彼の研究はそのような「非生物学的」要因が他の要因(これもまた重要なのだが)と比較して、より重要であることを示したに過ぎない(Money and Ehrhardt,1972)。

生物学的性分化とその「性転換症、医学、法」との関連性の要約

 男性になるか女性になるかの性分化過程は多段階の過程であり、それぞれの段階で臨界期である時間枠があるということが明白になってきた。いったんこの臨界期を過ぎれば後戻りはできない。受精と同時に性染色体の型が形成され始める。通常は46XYか46XXだが他の形態もあり得る。もっともよく知られたものは47XXY(クラインフェルター症候群)と45X(ターナー症候群)である。人間の胎児における性腺の分化は妊娠5から7週で始まる。未分化の男女どちらのものにもなりうる性腺は、Y染色体の短腕上の正常の遺伝プログラムが始まるなら、精巣となる。時として、この遺伝情報はX染色体上に誤って配置されていることがあり、その結果46XXの男性となり、その頻度は報告によれば、2万人に一人である。「精巣決定領域」がY染色体短腕上に欠如しているときには、XY染色体型で無形性の性腺を有する女性へとなりうる。両側性腺が共に精巣または卵巣へと発達すると(またはまれではあるが卵巣精巣へと発達すると)、次の性分化過程の段階は内性器の形成である。胎児の精巣は内分泌学的に活動を開始し、テストステロンとミューラー管退縮物質を分泌し、その結果、ミューラー管が退縮しウオルフ管から男性内性器が形成される。卵巣は内分泌学的には活動を起こさない。ウオルフ管はテストステロンがなければ退縮し、ミューラー管はミューラー管退縮物質がなければ女性内性器へと分化する。引き続き起こる性分化の段階は外性器の形成であり、内性器形成と同様の幾序による。すなわちテストステロンの存在で(5αジヒドロテストステロンに代謝されるとして)男性外性器が形成され、テストステロンおよびその他のアンドロゲンホルモンの不在で女性外性器が形成される。この段階で発生する性分化の異常の古典的な二症候群がアンドロゲン不応症候群(AIS)と先天性副腎皮質過形成(CVAH)である。AISの本質的特性は全身体細胞のアンドロゲン受容体の欠如である。これは46XYにおいてのみ起こることが見いだされている。彼らは精巣があり、テストステロンを産生するが、組織体がテストステロンに反応しない。その結果として彼らのウオルフ管は男性内性器へと発達せず、その外性器は女性である。その結果、この精巣を有する46XY患者達は女性として誕生し、生育される。同様の臨床的発現が、テストステロン合成の酵素性の阻害がある、精巣を有する46XY患者にも見いだされる。CVAHでは副腎皮質における異常な量のアンドロゲン産生がある(コルチゾール合成の酵素欠損による)。正常なアンドロゲン産生より多量の産生がある結果、卵巣を有する46XX胎児にウオルフ管と外性器の男性型への性分化を引き起こす。言い換えるなら卵巣を有する46XX患者はペニスと陰嚢を持って生まれ、男の子として育てられる。上述した二つの症候群は完全型も不完全型もある。この二つの症候群以外にも内性器と外性器の性分化過程において多くの異常があり、その結果として46XX染色体型で卵巣を有する胎児が男性性器を有したり、46XY染色体型で精巣を有する胎児が女性外性器を有することとなる。多くの頻度で見られる性別判別困難な外性器は、外性器の性分化過程における異常の結果である。性器の形成は胎生16週から17週には終了する。太古より人類はその子供への男性または女性への性別の割り当てを外性器の外観を判断基準にして行ってきて、表面的には大きな問題に直面することはなかった。この性別決定方法は、全体として性分化の全ての基準(性染色体型、性腺の性質、内性器の性質)が男性か女性かを、一瞥した外観から推論する。この推論は大多数の新生児には正当なものと思われる。しかし、外性器の外観が他の性別基準に一致するという確証はない。新生児への男性か女性かへの性別割り当てを外性器の外観という基準へと固守するならば、この方法の不可避な結果として、他の性別基準(性染色体型、性腺、内性器)が平均的男性のものとは不一致にもかかわらず、男性と法的に登録されるものが存在することになるし、同様に法的に女性と登録されるものが存在することになる。

 性別判別困難な性器を有する新生児の実状は、なお一層複雑である。このような新生児に直面した医学的に純朴な人々に対し、人々の中の素朴な賢者は、その赤ん坊を、もっとも外観が似せられる性別へと割り振るように指導した。性染色体型、性腺、内性器の性質を決定できる医学技術の出現によって、このやり方は再考された。1876年にKlebsによって開始されてから、顕微鏡による性腺検査(精巣か卵巣か卵巣精巣か)が新生児の「真の」性別に関して確実な基準になると考えられた。性染色体決定方法の導入によって、性染色体を性腺検査の代わりに性別決定基準として採用することへと科学者達は誘惑された。明白なことだが、これらの方法は自然の目的論的であった。言い換えるならば、性染色体型や、性腺組織から、その当事者に向けられた自然の本来の「意図」を読みとろうと試みたのだ。この医学的方法は当事者にとって悲劇的な結果となった。上述した性分化に関する知見から理解可能なことだが、このような方法は、結果として、例えば、46XY染色体型を有し、かつ、または、精巣を有するが、外科的に男性外性器へと再建不可能な女性外性器を有するものが、男性へと割り当てられることとなる。この方法が当事者に対して、全ての側面で男性として機能することに関して、どれほどの不幸を引き起こすか想像するのは困難ではない。

性別判別困難な性器を有する子供に関するMoneyとWilkinsの前述した先駆的研究で、新生児への新たな臨床的な性別決定方法が導かれた。性別割り当ての決定は、現代の医学では、第一に外性器の性質とその外性器が、新生児に割り当てられる性別に一致するようになされる外科的再建術にどれほど有用かという点から導かれる。性別決定においてより重要なのは、新生児が小児、成人期において、社会的、性的、個人的に、もっともよく外性器が機能するであろう性役割を、十分な臨床的根拠に基づき予測することである。将来の生殖能力も考慮しなければいけないことだが、より重要なわけではない。なぜなら全体としては、生殖能力は性器と反対の状態(例えば外陰部と膣と生殖能力のある精巣を有するもの)であるかもしれないからだ。

 明白なことだが、上述した臨床上の方法は、新生児において予測される将来の性器機能に高い優先性を与え、性染色体型や性腺の性質を実質上軽視している。ほとんどの法制度は、性別判別困難な性器を有する新生児の場合、性別割り当てが医学的専門知識に基づき行われるのを受容している。 上述したことより明白だが、医学は性別を性染色体や性腺や性器の性質といった単一の基準によって決定することはできない。性別の全ての要素は通常は互いに一致するが、不一致なこともあり得る。子供の健康な精神医学的発育のためには、風変わりな人間にするように運命づけようとしないのであれば、男性か女性に割り当てるべきだ。この割り当ては、通常は親や養育者によって、外性器の外観に基づきなされる。男性か女性かの戸籍登録は、判別困難でない性器の場合は親ないし養育者の性別割り当てに一致して、判別困難な性器の場合は専門家の医学的助言に一致してなされるかもしれない。結果として、戸籍登録は医学専門家の性別決定と同様に、不確実または任意の性別決定となることを免れない。性分化が幾つかの変化要素を伴って階段状に進む課程であることが知られてなかった時代に、多くの法制度が、戸籍登録は外性器の外観を決定基準になされると制定した。

 外性器の外観を基準とする方法は、疑いもなく都合の良い方法で、大多数の市民には正当な判断である。しかしこの方法は変数のうちの一つ、人の性別の決定基準の一つにのみに依拠していることを認識しなければならない。上述した議論から明白なことだが、単一の判断基準は、精神医学的に言って、満足に性別を定めることはできず、それゆえもっとも広範に普及している法的な性別基準、すなわち外性器によるものは、科学的にはもはや絶対的なものではない。

 男性か女性の戸籍登録の他の側面としては、生後ある日数内に届け出するように法的に期限があることである。明白な脳の性差は、生後3~4年してようやく現れ始める。下等な哺乳類と対照的に、脳の性差過程は、理論的には他の物質の直接作用の余地を残すものの、性ホルモンの作用との直接の関係はない。MTF性転換症者のごく限られた数(3症例)の検査では、彼らの脳は性転換症でない対照群と比較し、形態学上の違いを示した。この形態学上の知見の他に、性転換症の脳機能の調査でも、その脳が反対の性分化をしている証拠を示した。

 脳の性分化が生後発生するという上述した科学的洞察の含意は、外性器を基準に子供に男性か女性かへの割り振りをすることは、信念的な活動ということだ。その方法は、日常の現実において、太古以来、人類によってなされてきた適切な方法であった。わずか男性1万人に一人、女性3万人に一人(Bakker,Van Kesteren,Gooren and Bezemer,1993)(Tsoi,1998)のものが後に、性同一性および性役割と実際の性器の形態やその他の性別基準との矛盾を経験する。結果としては、他の性分化上の可変要素(性染色体型、性腺)と同様に外性器は優れ、かつ、統計的に信頼しうる将来の性同一性および性役割の予想方法である。対照的に、最近の神経解剖学的知見に基づいて、性同一性の形成が他のものにおいては信頼できる外性器による予想の過程をたどらないまれな人々のために、法律が条文を必要とするのは合理的なことである。この権利を否定することは、生後に発生する脳の性分化過程に関する重要な科学的知見の一つを無視することである。もし性別割り当ての公的指令として外性器外観の基準への厳格かつ頑固な固執が保持しようとするならば、出生前の性分化決定要素(性染色体型、性腺の性質、ホルモン産生)は外性器の性質と矛盾しうることを理解する必要がある。言い換えると、外性器を性別割り当ての基準にすることは、ほとんどの法律専門家が思うより、はっきりせず、明解でない。この基準の妥当性は、性分化は一つの点で決定される過程ではなく、互いに一致したりしなかったりする連続する段階であるという科学的知見により、無用となった。現在の法律の決定方法は、全ての段階が一致している新生児は正当に扱っている。しかし、より幸せでない人、つまり性分化段階が不一致な人も、やはり同様に正当に扱うに値するのである。



 訳者注
1.assignの訳は「認定する」「決定する」などを用いることが多いが、訳者は直訳の「割り当てる」を好む。よってsex assignmentは性別割り当て、SRSは性別再割り当て手術と訳す。

2.ロードシス、マウンテイングは下図参照。

3.性同一性の形成は近年より生物学的要因重視の流れ。

4.性転換症の脳の形態学上の性差。最近の知見。
 Swaab,1995 BST(分界条床核)の体積がMTFでMより小さくFとほぼ等しい。