2001年の「こころとからだの性科学」中の論文です。医学から見たジェンダー概念の変遷について論じています。

新時代のジェンダー概念
−男女二極モデルから多様性モデルへ−

Revolutionary Change in Gender Concept in the New Millennium
-Dichotomism to Transgenderism-



はじめに
 1998年10月、埼玉医科大学で国内初の公的に知られた、性別再割り当て手術(Sex Reassignment Surgery、いわゆる性転換手術)が行われ、我が国でも性同一性障害への医学的疾患としての理解が深まってきている。しかし、医学的関与の歴史的浅さもあり、我が国での性同一性障害への理解は、ともすれば紋切り型で、単純なものとなりがちである。数十年の治療経験を持つ諸外国では、性同一性障害およびジェンダーに関する概念は、さまざまな論争を経て変遷しつつある。主として米国での歴史を見ていくことで、性同一性障害およびジェンダー概念の今日的理解を明らかにし、将来の展望を記す。

1.セックス、ジェンダー
 1950年代、Money1)やStoller2)によって、人の性別にはセックス(sex)つまり、身体解剖学的な性別と、ジェンダー(gender)つまり心理社会的な性別があることが見いだされた。当初このジェンダーの心理的側面、行動的側面および社会的側面は同一視ないしは混同され用いられてきた。すなわち人が自分を心理的に男性と思ったり、女性と思ったりするというジェンダーアイデンティティー(性同一性・心理的性別)は、社会的にどう男性役割、女性役割を果たすかというジェンダーロール(性役割)によって行動面で現れると考えられたり、あるいは、ジェンダーアイデンティティーは、親や周囲の人々が示す男らしさ、女らしさという社会的ジェンダーを幼児期の子が学習することで形成されると考えられていた。しかし、その後、ジェンダーアイデンティティーとジェンダーロールは必ずしも一致しないことや、ジェンダーアイデンティティーの形成には、誕生後の周囲の養育だけでなく、生物学的性差も関与していることが指摘されている3)。
これらの理解の上でジェンダーという用語を見直すとその意味は多義であり、その使用、解釈にあたっては、心理的側面、行動的側面、社会的側面などのどの意味なのか十分に注意する必要がある。本稿では混乱を避けるため、以下の文では、可能な限りジェンダーという言葉は用いずに論を進めることにする。

2.性同一性障害、その医療化の始まり
 セックスとジェンダーアイデンティティーが不一致なもの、つまり身体的性別とは逆に心理的性別を認識しているものが性同一性障害である。歴史的には性同一性障害を類推させる記述は古くから見受けられるが、医学的文献に記述され始めたのは、ジェンダー概念が唱えられるおよそ1世紀前、19世紀半ば頃の、ドイツの性科学者Friedreich、Westphalらによってからである。さらに19世紀の終わりから20世紀の始まりにかけて医学的疾患としての概念化が進む。1877年、Psychopathia Sexualisの著者として名高いKrafft-Ebbingは異性装を行うものをmetamorphosis sexualis paranoiaと名付け、犯罪的狂人であるとした。一方1910年Hirschefeldtはtransvestiteとして、1936年Ellisはeonismとして性同一性障害類似概念を提唱し、異性役割で生活することに対して、倫理的に非難するのではなく、医学的に認めて行くべきだと述べている。このように当時から、性同一性障害の医療化の功罪、すなわち非道徳的存在とのレッテルから解放されて医学的疾患として認知されるという功、および「精神障害者」との新たなレッテル張りという罪、の両面の原型がすでにあったのである4,5,6)。

3.体の性別と心の性別を一致させる治療
 性同一性障害への治療は1960年代まで主として、「心の性別を体の性別に一致させようとするもの」であった。そこでは精神科医を中心にして、時には精神分析療法、時には電気ショック嫌悪療法などを用い、身体的性別とは逆の心理的性別を、身体的性別と一致したものにしようと試みられていた。しかし、実際には、心理的性別の変更を目的とした精神科医による治療の多くは失敗に終わっていた。そんなおり外科的技術および内分泌学の進展を背景に、180度違う治療指針が登場した。「体の性別を心の性別に一致させる」という考えである。この考えは「Transsexualismの父 」と呼ばれる内分泌科医Harry Benjaminにより唱えられ、その後、性同一性障害の治療の主たる指針となった。なおTranssexualism(性転換症)とは性同一性障害の「身体的性別を反対の性別に変更しようとする」という臨床的特徴に着目し、1949年にCauldwellが命名し、Harry Benjaminにより広く知られるようになった用語である4,5)。
 米国では当初、性別再割り当て手術を行う病院がなく、Harry Benjaminは欧州の外科医を紹介していた。しかし、1965年John Hopkins Gender Identity Clinicが設立され、米国内でも手術が行われることとなった。
 ここで、強調して記しておきたいのは、その治療指針の思想的背景である。すなわち「男女いずれかの典型的な身体的性別およびそれと一致した心理的性別を有するものが正常である。そうでない場合、異常であり、一致するようにするのが治療である」という思想である。例えばHarry Benjaminは次のように述べている。「体を一致させるように心が変えられないとしたら、心に一致するように体を変えることを考えるべきだ」。あるいは先に述べたようにジェンダー概念を提唱し、John Hopkins Gender Identity Clinicの設立にも関わったMoneyは、身体的性別が曖昧なインターセックス児の治療に関して、曖昧な身体的性別を外科的療法によって男女どちらかの典型的な性別にするという治療指針を同時期に推奨している。この指針は、その後インターセックス児への主たる治療方針となった。
 この頃の性別再割り当て手術を受けた当事者の体験手記は基本的には医師に対しての絶対的礼賛である。例えば、「私の女性としての心は、間違って男性の体に閉じこめられていた。しかし、ホルモン療法や手術によって女性の体になり本当の自分になった。これで女性として幸せになり、男性と結婚できる」などのような内容である。
 このように当時は「身体的にも心理的にも社会的にも、典型的な男女どちらかにより近づけることが治療であり、当事者にとっての幸福である」と考えられていた。

4.門番としての精神科医
 性別再割り当て手術が行われた当初、手術実施者達は、この外科的療法により性同一性障害患者が救われると考えたが、実際には手術後に自殺したり、精神状態が悪化するものも見受けられた。このことから、手術の適応となる患者を慎重に選別すべきだとの考えが生まれ、その責務を精神科医が負うことになった。その選別要件として、他の精神疾患の除外の他に、一次性か(物心ついたときよりか)、真性か(より中核的症状がそろっているか)、性指向は同性愛か(心理的には異性に性的に魅かれるか)、見た目が望みの性別で通ずるか、などが問われたこともあった。その後においては、Real Life Test(望みの性別で社会的に常に過ごし、半年ないしは一年以上適応してやっていけるか)が、その要件となっている7)。いずれにせよ当事者と精神科医の関わりは、ホルモン療法、外科療法へのパスポートを手に入れたい当事者対、その許可の是非を決定する門番としての精神科医との意味合いが強く、通常の精神療法の関係の構築を阻害する要因となった8)。
 また、この選別は、選ばれて手術が施行され、身体的な性移行が達成できたものと、選ばれず手術が施行されず、身体的な性移行が達成できないものの間に階層化、差別化を生み出すこととなった。
 
5.トランスジェンダー概念の誕生
 医学的診断名としては、従来の性転換症に加えて、1980年のDSM-III(精神疾患の診断統計マニュアル)より、Gender Identity Disorder(性同一性障害)が公式に用いられることとなった。
 これら医学界が命名し概念化した用語に対して、当事者達を中心に命名概念化され、発達してきた用語がTransgender(トランスジェンダー)である。米国の性別に違和を持つ者や、異性装者のコミュニティーの指導者であったVirginia Princeは、1980年代末に「反対の性別でいつも過ごすが、性別再割り当て手術は行わないもの」という意味で、「Transgenderist」を提唱した。この用語は、1990年代に入りトランスジェンダーとして広がっていき、その意味するところは、当初の狭義なものではなく、性別再割り当て手術を行うものや、異性装者、時には同性愛者をも含む、従来の性別概念の枠からはずれたもの全てを包み込む、包括的用語となりつつある4,5)。
 トランスジェンダー概念の誕生は第一に、「性同一性障害は全て、外科的手術などによって可能な限りの身体的な移行を欲している」という紋切り型の一般的理解に対して、「従来の性別の枠に収まらない、さまざまな性別の状態があり、またそのさまざまな状態を望むものがいる」という現実を知らしめることとなった。第二には従来の医学的疾患名の性転換症や性同一性障害に対して、当事者自らが命名した概念を持つことにより、脱医療化の契機となったのである。第三には、第一と第二を合わせた結果として、手術を行わない当事者も、「手術にすすめなかった性同一性障害者」として自己を卑下するのではなく、一つの性的アイデンティティーとして自己を確立することへの一助となった。

6.ジェンダーとしてのセックス
 1990年代に入りインターセックスの治療をめぐる議論から、セックスすなわち身体的性別もまた、ジェンダーすなわち社会的な男性らしさ、女性らしさの反映に過ぎないのではないかとの考えが生まれつつある。  インターセックス者への治療は従来、既述したようなMoneyの考えに基づき行われるのが主流であった。つまり、性別が曖昧な外性器をもって生まれた子供に対し、早期において、ペニスないしはペニスのない性器を割り当てるのが良しとされてきた。しかし、治療を受けた当事者達が成長するにつれ、その治療に対して疑問が発せられ始めた。例えば、肥大化していたことを理由に陰核の切除を受けた女性や、ペニスが小さかったことより、女性性器を割り当てられ、女性として養育されたもの達から、怒りや抗議の声が起きているのである。このような批判を向けられている従来の治療指針に対して、1990年代後半、M.Diamond9)はさまざまな性器の状態は、多様性の一つであるとし、曖昧な性器に対しての保存的対処方法を提唱している。
 これらのインターセックスをめぐる最近の動きは、セックスに使用できる典型的なペニスを持つのが男性、ペニスが挿入されることの可能な性器を持つのが女性という身体的な性別もまた、社会的な意味におけるジェンダーの影響を強く受けていたことを示すこととなった。これは性同一性障害者の自己の身体的性別に対しての考え方にも影響を与え始めている。

7.同性愛をモデルとしての脱医療化
 2000年現在もDSM-IV10)において、性同一性障害は精神障害の1疾患単位として、分類されている。この現状に対し、「ジェンダーのありかたは、多様なセクシュアリティのひとつであり、それが少数のものだからといって精神障害とされるのはおかしい」などの考えから精神障害の分類から削除すべきである、との意見がある。この議論は、同じ、セクシュアルマイノリティである、同性愛がたどった歴史とよく比較される。同性愛は、非道徳的存在→精神医学的疾患→本人が苦悩しているという理由での精神医学的存在(自我違和性同性愛)→性的ありようの一つとして正常と認められ精神障害の分類から削除、という歴史的段階で現在に至っている11、12)。これまでに述べたように、性同一性障害は1900年の始まり頃、非道徳的存在から医学的疾患となった。1994年に発行されたDSM-IVでは、以前には見受けられなかった診断基準として、基準D.「その障害は、臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている」を設けている。これは、同性愛が、自我違和性同性愛として、精神障害の分類に過渡的に残存したのと類似の状況である。この同性愛と同様の流れからすれば、いずれ性同一性障害も精神医学的疾患でなくなるとの考えも理解されうる。
 しかし、性同一性障害者は、同性愛者と違い、多くのものが、ホルモン療法や、外科的療法などの医学的治療を求める。そうすると、その医学的治療の対象者を明確にする手段としてや、あるいは保険の適用などの現実的必要性からはやはり医学的疾患とするべきだとの考えもある13)。ただし、この場合は医学的疾患である必要はあっても、必ずしも精神障害である必要はない。そうすると、将来的には、精神障害でなく、別の枠組みにおいて医学的疾患として捉えるという議論になるかもしれない。

8.当事者間のさまざまな考え
 これまで性同一性障害およびジェンダーをめぐるいくつかの議論を記してきたが、これらの議論に対して当事者間が皆同じ意見を有しているわけではない。
 例えば、典型的な男性女性への考えである。ホルモン療法、性別再割り当て手術を通じて、心理的性別と合致した身体的性別を獲得しようとするものもいる。彼らの場合「自分は身も心も男性(女性)になりたい。そうすれば普通の男性(女性)と生活していける」
と考え、身体的治療を目指す。そうして治療が終了すれば、「自分が性同一性障害であったのは過去のこと」として、周囲に知られず、典型的な男性、女性として周囲にとけ込もうとする。一方、「典型的な男性、女性という考えが間違っている」として、「性別という考えをそもそもなくすべきだ」だとか、「我々は男性でも女性でもない第3の性である」と唱えるものもいる。
 あるいは医療に対して、「心に一致した本来の自分の体を取り戻させてくれてありがたい」と感謝するものもいれば、「典型的な男性、女性を再生産することで、社会的なジェンダーを強化している」と非難するものもいる。
 このように当事者達の意見は、その性別違和の状態、あるいは思想的背景の違いなどによって、多種多様なものとなっている。

9.変化する精神科医の関与方針
 性同一性障害に対して、精神科医は当初、心理的性別の変更を試み、その後身体的治療を希望するものに対する門番としての役割を担ってきた。しかし、最近では性同一性障害者に対しての精神科医の関与方針はその本来の役目を取り戻しつつあると思われる。すなわち、精神療法の目的として、十分なその人自身の同一性の確立を促し、当事者にとって最も幸福な人生選択の模索を援助することが最近の文献では挙げられている14,15、16)。同一性の確立に際しては、典型的な男性、女性としての同一性だけでなく、トランスジェンダーとしての同一性を確立することも、それがその人の同一性なら良しとされる。また、当事者にとっての最も幸福な人生選択とは、当事者にしかできず、「典型的な性別を望むか否か」「身体的療法を受けるか否か」などのさまざまな考え方に対しては、精神療法を行う主治医は中立性を守ることで、本人の自己決定を尊重することとなる。
 このように今後の精神科医の性同一性障害への関わりは、男女どちらかの典型的モデルを押しつけるのではなく、そのひとそれぞれのさまざまなジェンダーのありようを尊重したものとなろうとしている。
 
10.日本における現状
 性同一性障害およびジェンダーをめぐる日本の現状は、一見したところ米国での数十年の経過がここ数年の間に凝縮して、噴出しているように思える。すなわち、性別再割り当て手術の実施に伴う、医療者に対しての当事者達からの神格化、およびその後の批判。あるいは当事者間のさまざまな考え方の相違などである。しかし、社会制度上の立ち後れや、曖昧なままだと受け入れるが、明確に権利を主張すると拒絶するといった土壌などは日本的問題として指摘できよう。少なくとも、今後しばらくは、医療制度、社会制度の立ち後れを取り戻す方向への動きがあるのは確かであろう。

11.まとめ
 性別とは従来は男性、女性に明確に二分される、ないしはすべきものとされ、この考えにのっとり、性同一性障害者や、インターセックス者に対してはどちらかの典型的な性別に近付けるような治療が行われてきた。しかし、ジェンダー概念の進展に伴い、人々の性別には、典型以外のさまざまな状態があることが認識され始めた。これを色にたとえれば、従来は人の性別を白黒二分主義に捉え、その他のものは「間違った灰色」と考えていたものを、性別とは虹のように多様な色から成り立ち、そのどの色も美しく、その多様な色があるからこそ虹全体もまた美しい、と捉え始めているといえる。この考えは医学的治療方針にも影響を与え、性同一性障害者やインターセックス者に対して、そのさまざまな性別のありようを尊重する指針が現れ始めている17)。この流れは今後も続き、新時代の主たるものとなって行くであろう。

おわりに
 江戸時代に記された「好色変生男子」という物語がある。そこでは、生まれながらに体は男性だが心は女性の主人公が生き生きと江戸の町を恋に性に生きる姿が描き出されている。周囲の人々も大らかに、主人公との生活を楽しんでいる。このような時代があったことを思えば、我々のジェンダーへの理解は進歩しているというよりも、ただ循環しているだけなのかもしれない。


文献(英語文献はamazon.com等を用いての入手の容易な書籍を中心に挙げている。)

1)Money,J.,Tucker P.,Sexual Signatures: On Being a Man or a Woman,Little,Brown and Company,1975(朝山新一他訳 性の署名:問い直される男と女の意味 人文書院 1979)
2)Stoller, R.:Sex and Gender, Science House,1968(性と性別 桑畑勇吉訳 岩崎学術出版社 1973)
3)針間克己:性同一性障害の心理療法.臨床心理学大系19.金子書房,東京(印刷中)
4)MacKenzie,G.O.: Transgender Nation, Bowling Green State University Popular Press, Bowling Green, 1994
5)Califia, P:Sex Changes: The Politics of Transgenderism, Cleis Press Inc.,1997
6)東優子:性同一性障害.ペリネイタルケア1998夏期増刊 リプロダクティブ・ヘルス/ライツ,北村邦夫編,216-222メディカ出版、大阪(1998)
7)Blanchard R: Clinical Management of Gender Identity Disorders in Children and Adults, American Psychiatric Press, Inc.,1990
8)Anderson, B.F.: Ethical Implication for Psychotherapy with Individuals Seeking Gender Reassignment. In Israel,G.E.(Eds):Transgender Care, Temple University Press,1997
9)Diamond, M. and Sigmundson,H.K.:Management of intersexuality:guidelines for dealing with persons with ambiguous genitalia.Archives of Pediatrics and Adolescent Medicine,151:1046-1050,1997(針間克己訳:インターセックスの子供のマネージメントガイドライン.助産婦雑誌54(2),35-41,2000)
10)American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders Fourth Edition.American Psychiatric Associationn,Washington D.C.,1994-高橋三郎・大野裕・染矢俊幸(訳): DSM-IV 精神疾患の診断・統計マニュアル.医学書院,東京,1996
11)Bayer, R.,:Homosexuality and American Psychiatry, Princeton University Press, 1981
12)東優子:同性愛..ペリネイタルケア1998夏期増刊 リプロダクティブ・ヘルス/ライツ,北村邦夫編,211-215メディカ出版、大阪(1998)
13)Pauly, I.B.Terminology and Classification of Gender Identity Disorders, In Bocting,W.O. and Coleman, E.(Eds),Gender Dysphoria:Interdisciplinary Approaches in Clinical Management, The Haworth Press, New York, 1992
14)Ettner,R.:Gender Loving Care: A Guide to Counseling Gender-Variant Clients,W.W.Norton&Company,New York,1999
15)Brown,M.L. and Rounsley C.N.:True Selves: Understanding Transsexualism-For Families, Friends, Coworkers, and Helping Proffesionals, Jossey-Bass Inc, 1996
16)Bocting, W.O. and Coleman, E.:A Comprehensive Approach to the Treatment of Gender Dysphoria, In Bocting, W.O. and Coleman, E.(Eds), Gender Dysphoria:Interdisciplinary Approaches in Clinical Management, The Haworth Press, New York, 1992
17)針間克己:セクシュアリティの概念, 公衆衛生64(3):148-153,2000